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2011年2月9日

日本の英語受容史について

僕は基本的に英語教師として中央大学に勤務しているのだが、3年前から、後期のみ週1回の総合教育科目「言語と文化」という講義も担当している。その内容については科目名以上の縛りはないため、やろうと思えば、僕の本来の専門である英語音声学や、もう少し広く考えて言語学概論のようなことをやることも可能だ。しかし僕はあえて、この科目では、いわば「世界英語論+日本の英語受容史」とでも題するべき、ある意味では、“日本人のための教養としての英語論”を講じることにした。無論、この分野を専門としているわけではないので、勉強しながら毎年内容を充実させて行っているというのが実態である。

講義前半の3分の2ほどは「世界英語論」で、英語が現在のような事実上の世界語としての地位を得た経緯を、英語の起源・歴史から解き明かし、世界中に広がった“諸英語”の紹介で締めくくっている。これは当然、種々ある英語史の教科書に加え、自ら翻訳したトム・マッカーサー『英語系諸言語』(三省堂、2009年)を参考にしながらの講義となっている。

後半の「日本人の英語受容史」の方が、実はなかなか一筋縄では行かない。これは共立女子短大に勤務していた頃から「英語学概説」の中で話をしていたのだが、手にする文献がどれもある意味で ideologically loaded なもので、講義に使うにあたって、そういう部分をそぎ落とすのに大変な苦労を強いられていた。しかも、そうして手に入れた“客観的史実”には、具体性が欠けていたり、時代的な「抜け」が目立つため、正直に言って満足な講義ができた試しがない。もちろん、講義の準備に掛ける時間が足りていないのだろう、という批判は甘んじて受けなければならないにしても。

こうした文献の中で、僕が最初に参考にしたのは、岩崎春雄・忍足欣四郎・小島義郎(編)『現代人のための英語常識百科』(研究社出版、1988年)の中の、第2章「日本人と英語」から、伊村元道氏の執筆になる「日本の英語受容・教育史」だった。これは当時切り替わったばかりの、今の前の代の日本銀行券の肖像に採用された、夏目漱石・新渡戸稲造・福沢諭吉の3人を鍵にして歴史を語るというスタイルで、僕がそもそもこういう内容を講義に取り入れようと考えるきっかけになっただけあって、おもしろい内容だった。しかし、何しろ、選ばれた3人が、お札に採用されたからという理由によるものであったから、英語の受容史における重要性とはおよそ関係のない選択になっているとしか思えず、取り扱いが非常に難しいものであった。

そして、2000年に僕は中央大学経済学部に転任、「英語学概説」を講ずることもなくなったため、僕の「日本の英語受容史」への取り組みは一旦中断することになった。現在の「言語と文化」での扱いは、数年の空白を経ての復活ということになる。

その間、伊村元道氏が2003年に『日本の英語教育200年』(大修館書店)という単行本を出版され、これは英語教育21世紀選書の1冊になっていることもあってか、要領よくコンパクトにまとまっているし、読者におもねるような妙な項目選択もないように見える。そのため、今の僕の種本はこちらになっている。但し、通史ではなく、テーマ別歴史の形をとっているため、これもまた僕が必要とする情報を取り出すのがなかなか困難であることには変わりがない。

そのほかに、斎藤兆史『日本人と英語-もうひとつの英語百年史』(研究社、2007年)も多少参考にしている。ただ、この本は研究社創立100周年記念出版ということになっているが、その企画には無理があったと思う。何しろ、日本の英語受容の歴史はわずか100年の範囲にとどまるものではないからだ。100年というのは、英学ブームの中創立された研究社という企業の歴史にとっては意味があっても、受容史を描く枠組みとしては妥当性を欠くものだからだ。そのためもあって、斎藤氏は「『百年史』前史」と銘打った13ページほどに江戸時代以来の英語受容を駆け足で書かざるを得なくなっている。もっとも、この点は、講義の参考とするにあたって大きな問題ではない。むしろ問題は、この本に、斎藤氏の思想的思い入れが強く反映されすぎている点にある。

斎藤氏は、元来は英文学者で、文体論を専門とされていた。ところがある時期から、英語教育への問題意識が芽生えて方向転換を行い、『日本人と英語』では著者紹介に「専攻は英語教育・学習論、英学」と書いてしまうまでになっている(英文学者にはこういう“転向”をする人がままありますね。女性英文学者が「女性学」「ジェンダー論」専攻になってみたり)。

しかし僕には、彼のこの転向が物書きとしての成功にはつながってはいても、研究者としての成功につながっているとはどうしても見えない。何しろ、僕のような程度の英語教育学・第二言語習得論の知識しか持ち合わせていない人間から見ても、首をかしげる記述が目につくからだ。

実を言えば、僕は斎藤氏から個人的な恩恵を受けている。大学院を出たばかりの頃、仕事がわずかしかなかった僕に、在外研究に行っている1年の間、非常勤出講先の成蹊大学英文科の代講を任せてくれたという経緯があるからだ。その職のおかげで僕は翌年から成蹊大学で開講される英語音声学の授業を担当することができた。その講義に取り組むことで、僕の英語音声学に関する理論は煮詰められ、著書(『日本人のための英語音声学レッスン』大修館書店、2005年)にまで昇華されたのだと思っている。

あるいは斎藤氏は、副題として「もうひとつの」と銘打つことで、個人的な思い入れをこの本に注入する意志を示したのかも知れない。巻末に自分の英語学習体験史を書いたのもその現れだろう。しかし、個人的問題意識のみ(?)から転向した英語教育論において、その分野の基本や理論的動向を正当に消化できていないままの文章を読むのはつらい。意見の根拠として書いてあるはずのことが、結果的に根拠としての役割を果たしていなかったりするからだ。

今年度の「言語と文化」のレポートは、課題図書から選んでの書評とした。斎藤氏のこの本も課題図書の1冊に挙げた。レポートを読む限りは、学生たちの心に響いているようだ。心に響いているだけならいいが、あまり鵜呑みにしすぎないことを教員としては願う。

断っておくが、僕は斎藤氏の「小学校への英語導入反対派」論客としての活躍にある種の共感を持っている。現状での小学校への英語導入が危険であるという問題意識を同じくするからだ。

但し、僕の場合は、小学校で英語をやっていけない理由はないと思っている。母語への影響を云々する人が多いが、母語は母語で国語教育に問題があるのだから、別途手当てすればいいだけだろう。、但し、英語をやるのに英語教員の手当もせずに始めるのでは、太平洋戦争敗戦後、義務教育化された新制中学に英語が導入されたときの失敗(と言ってしまおう)を繰り返すだけだから、台湾や中国のように国策で集中的に小学校向けの英語教員養成をしなければならない、それができないのなら時間の無駄だと思う。

そんなことを考えていたところ、NHK教育テレビの火曜日22:25~22:50の『歴史は眠らない』という番組の2月の内容が、鳥飼玖美子氏を講師とした「英語・愛憎の二百年」であることを知り、1回目は見逃してしまったが、2回目の今晩は見ることができた。番組テキストもあるようなので、恐らく来年度の僕の講義の種本に加わることだろう。鳥飼氏は、斎藤氏と同様、異業種(彼女の場合は通訳)からの参入組であるため、やはり危うさを禁じ得ないのだが、番組のエンドロールに英語教育史の専門家である江利川春雄氏の名前があるのを見て、番組スタッフも人選には気を配ったのだなということが感じられて、残り2回にも期待を持つことができた。

この記事は、実際のところ、この番組を見て触発されて居てもたってもいられずにPCに向かって書いた。本当は番組を全部見て、テキストも読み込んでから書くべきだったのかも知れないが、その機会はまた設けることにしたい。

2009年5月15日

従属接続詞的な how (≒ that)

In 2003 Urton wrote a book outlining his theory, and in 2005 he published a paper in Science that showed how even khipu that follow Locke’s rules could include place names as well as numbers.
-”Untangling the Mystery of the Inca” from Wired. The Best American Science and Nature Writiing 2008 (Houghton Mifflin, 2008) に所収、49ページ.
○ 「ロックの法則に従っているキープーでさえ、数字だけではなく地名を含みうるということを…」
×?「ロックの法則に従っているキープーでさえ、どのようにして数字だけではなく地名を含みうるのかを…」
キープーとは、文字を発達させなかったインカ文明が物事を記録するために用いたとされる結び縄のことで、この記事によれば、スペインの征服者が大量に焼き払ってしまった結果残されたわずか750個を元に、現在解読が進められている。事実としては、『サイエンス』誌に掲載の論文で、どのように地名を含みうるのかの仕組みを説明しているはずだが、それを訳出するとうるさい感じになってしまう。原文は、仮に how の代わりに that を使うと “that showed that” と、that の連続になってしまうために、それを避けようとした結果であるかのようにも見える。
 
how ≒ that のような使い方は、辞書の語義配列では終わりの方に回されがちである。『オーレックス英和』(旺文社、2008年)では、副詞の後に接続詞の品詞を立てて「…ということ」としているが、用例はあるものの、それ以上の説明はなく、目立たない。『グランドセンチュリー英和』第2版(三省堂、2005年)では、副詞の最後(7番目)に「接続詞的用法」「口語」として「…ということ」という語義が挙がっている。接続詞の品詞を立てない点は不十分だが、「参考」として、「(the fact) that とほぼ同じ意味だが、how の方が that よりも、その事実に対する深い興味や感情を表す」という説明がある分だけ詳しくなっている。但し、「口語」表示はどうだろうか?上記の引用は雑誌記事だし、いちいち記録はしていないが、僕の読書の範囲では、それほど稀だという印象はない。「口語」という限定は不要のように思う。一方、「参考」にあるようなニュアンスの違いについては、僕自身察知できていたかどうかわからない。
 
しかし、同じ授業で学生がつまずいたのは、むしろ次のような文だった。
 
Then in the early 1990s, Urton, one of the world’s leading Inca scholars, spotted several details that convinced him the khipu contained much more than tallies of llama sales. (同、49ページ)
 
Urton spotted several details. という文に、several details を説明する that による関係詞節が埋め込まれ、その中に、convince の直接目的語になる that 従属節がさらに埋め込まれるという三重構造だが、この程度のことは英語では全く珍しくないのにつまずいてしまった。また、
 
The mystery was considered more or less solved. (同、49ページ)
 
で、solved を considered と並列の主動詞と捉えた誤りが出てきたのには目眩がしそうになった(and もないのに…!!)。もちろんこれが solved ではなく、どこから見ても形容詞である別の単語だったら、そのような誤りは起こらなかったのだろうが、総じて学生たちが S+V+O+C の構造を見抜けない場合が多いこと、更にはその受動態に対する認識が薄い傾向がある…という僕の普段の印象を強化する出来事であった。
 
in-classのカテゴリでは、こういった、大学生たちが犯す、あまり高級とは言えない誤りについて、記憶に残っていて書く時間がある限り書いていこうと思う。(実を言うと、エントリのタイトルにした how の用法については、学生は間違わなかった。もっとも、他の部分に気をとられているうちに how の存在を忘れていたのでは?思える節もあったのだが、それは意地悪すぎる見方かもしれない。)
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